「牢の中の貴婦人」
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
原島文世 訳
不条理に他の世界に来てしまった主人公は、魔法を使うでもなく、淡々と物語はすすんでいき、最後まで魔法は出てきませんでした。この終わり方って、なんだろう?
他の作品とは毛色が違う、けれども、信頼している人から受ける厳しすぎる状況は、やっぱりダイアナ・ウィン・ジョーンズ、心がゆさぶられました。タイトルにある通りの、牢に入れられた「貴婦人」の疲れ果てた最後の言葉も、みじめすぎる。他の作品と全然ちがう。恋心が芽生えたあたりから、最後の冷水を浴びせられたような現実に気づくところの落差が、大きすぎる。アスグリムの行動も、あんなに素晴らしく見えたのに、あっという間に見え方がかわってしまいました。エミリーと、やっと名前で呼ばれた最後のあたりは、牢番にも牢番の上司にも、もうどうにもならない絶望感でいっぱいです。辛すぎる。
きれいな表紙の絵では、「貴婦人」が牢の中から見上げています。
いつも読んだ後、表紙の絵は「なるほど」ともう一度思わせますが、この「貴婦人」は、「何だったのよ!」と訴えているように見えます。「この感情の無駄遣いは、なんだったの!」と。真の王族と、偽物の貴婦人の自分との差に、はっきり気づく瞬間のやるせなさは、日本人にはない感情かな、とも思います。想像はできますが、イギリスの文化というか歴史の重さは、きっと現実で感じたことはないと思います。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの初期の大人むけの作品です。佐竹美保展の帰りに購入しました。なんと、佐竹先生の、表紙絵のコメントがしおりのようにはさんでありました。たくさんコピーして、スタッフの方が切って、本にはさんでくれたんですね。テンション上がりました。
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