読みました「手塚治虫」

手塚治虫、伝記、表紙 読んだもの

偉人の伝記を続けて読んでいます。いきおいづいた子供は次々と図書館で借りてきて読みあさっています。親が読み聞かせする前に、自分で読んでしまうので、私が読んでいないうちに返却された本も。この「手塚治虫」は読みたかったな、と思っていたら、子供が返却するのを待ってくれました。私にとって、世界一のマンガ家は手塚治虫です。

子どもの伝記16「手塚治虫」国松俊英 文/ポプラ社

 

幼少期から、興味の幅が広く深い

作品にはなじみがあっても、生い立ちや家庭環境は知りませんでした。作品を理解するうえでも、興味深く感じます。子供の才能を伸ばすには、やはり両親が阻害しないことだと思いました。ちょっとヘンなところがあっても、良い面を応援しています。

裕福な家庭で、父親も母親もマンガに対して肯定的でした。戦前・戦後のこの時代に両親の柔軟な意識は珍しかったのではないでしょうか。この時代に、こんなにおおらかな子育てができたんだ、と尊敬します。手塚治虫の才能は幼少期から周囲に認められていますが、まちがいなく両親のおかげ。祖父は、裁判官、曾祖父は医者。あたらしもの好きで裕福だった父親は、めずらしい電気製品や家具、マンガを家に所有。映写機まであったので、手塚治虫のマンガは映画のようなコマ割りだといわれています。

マンガを描き続けますが、マンガだけが興味の対象ではないです。いまでいうドロケイという遊びに似たインディアンごっこを友人に提案し、その様子をスケッチし、次の日に紙芝居として発表。小学生では、昆虫を研究し新聞を発行。中学受験での面接では、その知識と行動力が高く評価され合格。プラネタリウムに連れて行ってもらって天文学に興味をもち、医師免許もとりました。医師免許はマンガを連載しながらとりました。

戦争で空襲を受けたとき、赤ん坊でさえも次々に目の前で死んでゆく経験ゆえに、作品のテーマとして「いのちのたいせつさ」を訴えつづけます。地球レベルでの環境を守る、という意識もマンガですでに表現されていました。興味の幅が広く、深いわけです。

後輩に嫉妬する、人間らしさ

伝説の「トキワ荘」です。部屋が空くと、次々に若いマンガ家が入居する、というところが面白いです。運動が苦手なので、熱血漫画を確立させた後輩漫画家に嫉妬しますが、最後には「悪かった」と謝ります。いのちと環境を考える純粋なだけの人間じゃないのです。天才なのに、みっともなく悔しがり、そのパワーで作品の質がイヤでも上がってしまうように思えました。

こんなに頭が良くて、作品を作るバイタリティにあふれていて、誰も想像できない世界を描いて、未来を予測できて、それでも嫉妬するのかと、そこが最も驚いたところです。

手塚治虫は、偉人か

偉人というか、天才。天才の特徴として、作品数の多さが挙げられますが、700以上もの作品を残していることに驚きました。もちろん初期の作品からすばらしいです。はやくも20歳になるかならないかのときに、「ジャングル大帝」でブレイク。「鉄腕アトム」「リボンの騎士」と、いまの日本の漫画家に最も影響を与えたのではないでしょうか。私はライオンキングという作品より数十年さきんじて「ジャングル大帝」が発表されていること、未来が舞台の「鉄腕アトム」のイメージのなかに、当時はまだ存在しなかったハイウェイ(高速道路)が描写されていることなど、このすごさを、いまの子供たちにもぜひ知ってほしいと思いました。

手塚治虫 (おもしろくてやくにたつ子どもの伝記)